基礎英文法の講座を100回書き終えて、ホッとしていました。
3ヶ月間絶え間なく、平日毎日書き続けたので、我ながら大したものです🥳
大体ブログは三日坊主の私。
その間、日本に帰国したり、ほとんど電波の届かないキャンプに行ったり、TOEICの試験官もしました。
6月30日に100回目を書き終えて、ひとり静かに祝杯🍻をあげて(心の中で)少し休憩しながら、考えていました。
次に何を書こうか🤔
いろんなアイディアが浮かびましたが、基礎英文法の次はやっぱりTOEICかな〜とぼんやり思っていました。
ただ、英語のレベルを問わず、読んでいただける内容にしたいと思いました。
結果、前回のように講座形式にしてガチでTOEIC対策をするのではなく、すきま時間に気軽に読んでもらってTOEICをより身近に感じてもらえたらいいなぁ、というのがこの2週間の答えです。
「TOEIC屋」としたのは、人気アニメの流れを汲んで、親しみを感じていただけたらと思ったからです(ご存じなければすいません、アニメは「薬屋」です)
私自身がTOEIC屋を名乗れるかどうか、100%の自信はありません。
ただ少なくとも、オーストラリアのメルボルンで、TOEIC対策を25年間2000人に教え、公式試験官として10年間TOEICを実施してきました。
そんな四半世紀のTOEICとの関わりの中で起こった出来事、こぼれ話をシェアしたい!
そしてこの連載が終わる頃、TOEICのことがちょっと好きになった、と思って頂ければ筆者の思惑は達成されます🥹
そんな私も、日本を出る25年前までは、TOEICとはほぼ無縁の生活を送っていました。
1990年代、東京で雑誌の編集者として働いていた私は、英文学科卒業ということもあり、会社では「英語ができる人」と思われていました。
しかし、実際は英語にはあまり自信がなく、理想と現実とのギャップに落ち込む毎日。
「英文学科って、英語の古典文学を読む学部ですよ〜!現代英語のコミュニケーションとは違いますよ〜!」
と言い訳したい気持ちがありましたが
「我が社にもやっと英語ができる若手が来てくれた〜!」と本当に嬉しそうに言われてしまうと「頑張ります」と小声で答えることしかできませんでした😓
会社にかかってくるすべての国際電話が、内線で私に転送されてきます。
「あ、営業の田中だけど、ちょっと英語だからお願い」
「広告部の鈴木です。海外からのお問い合わせだから、頼むね!」
同じ編集部の電話ならともかく、国境ばかりか部署まで越えて、どう対応すればいいんですか!?入社して間もない私が!
と心の中では雄叫びをあげながら、すでに電話の向こうには外国人。
当時はまだまだ電話が主流でしたね。
インターネットの普及前夜のバブル末期の日本。
メールといえば、本当に投函する手紙でした。📮
そんなある日、内線ではなく直通でかかってきた英語の電話がありました。
流暢な英語で話す相手は、英語学校を売り込むセールスマンでした。
「今、仕事中なので、すいません…」と切ろうとすると、
「ちょっと待った!」”Wait a minute!”と勢いよく切り込みを入れてきます。
「君は本気で英語をマスターしたいと思わないのか?」
と続くそのセールストークに、弱みを突かれた私は、なかなか受話器が置けませんでした。
彼いわく、英語をマスターするというのは、普段は日本語を話していても、パッと一瞬で英語に切り替えられること、だそうです。
例えば、これから海外に1年以上出かけて日本語を一切使わなかったとしましょう。
それでも、1年後日本に帰った時、すぐに日本語話せますか?
日本語ネイティブの私たちなら、おそらく「話せる!」と答える人が多いでしょう。
それを今度は英語でも同じ状況になりたくないですか?ってことだよ。
その話は、当時の私に妙な説得力を持って腹落ちしてしまいました。
それができたら、もう会社でビクビクすることもなく、堂々と電話に出られるんだ!
と、気がつけば英語学校の体験入学に申し込みすることに同意していました
第2話に続くー

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